トップ よくあるご質問  
会報16号より
 ◆パキスタン下院選挙が2月18日に実施される
   (アルカイールの子どもたちへの質問/選挙後の状況報告)海外事業担当 事務局 西村 光夫

 ◆パキスタン派遣報告  事務局 入江 賢治


◆第26回送り出しコンテナの現地荷降し報告
             海外事業担当 事務局 西村 光夫
ボランティア募集中
【NPO法人JFSA事務局】
〒260-0001
千葉市中央区都町3-14-10
業務時間:10:30〜19:00
(木曜定休)
電話/FAX:043-234-1206
E-mailアドレス:jfsa@f3.dion.ne.jp
ボランティア募集中
 
JFSAでは活動を支えるボランティアを募集しています。

ボランティア無償で、交通費などの手当てもありません。 ご了承ください。

【作業内容】
・寄付された切手の整理
・会報などの郵送準備作業
・古着販売に関わる補助作業
・古着コンテナ詰込み作業など

【作業日】
毎月第2日曜日と第3月曜日
(10:30〜17:00の間で2時間以上)
会員になるには
JFSAの活動は会員の方々に支えられて運営されています。

会員になるには下記の郵便口座に会費をお振込みいただくか、 直接JFSA事務局までお持ちください。

【 会員(正会員)】
個人1口\5,000-
団体1口\50,000-
【 支援メンバー】
個人1口\2,000-
団体1口\10,000-

通信欄に「会員」または「支援メンバー」「個人」または「団体」口数をお書き添えください。
●2013年度(2013年10月〜2014年9月)分の会費になります。
会員(正会員)には総会の議決権があります。
会員、支援メンバーには年3回の会報と、 年1回サポーターグッズ(アルカイールの生徒が作ったものなど)を郵送いたします。

*郵便振替口座番号
00160-7-444198
*加入者名 JFSA


カンパ金をご入金いただく場合も上記口座をご利用ください。
通信欄には「カンパ」とお書き添えください。

 カラチ港のコンテナ搬出重機の故障のため、226日にコンテナがカラチ港に到着してから13日目の39日に、港からようやくコンテナを搬出する事が出来ました。そして、コンテナの古着の90パーセントを現金で買ってくれた卸業者ワリー氏の倉庫近くの路上で、コンテナから軽トラックへ荷物を積み替えてワリー氏の倉庫への搬入が始まりました。しかし、困った事にその日は日曜日だったので、AKBGの古着販売バザールと重なり販売チームの卒業生が作業に参加する事が出来ませんでした。それに、ワリー氏も荷役労働者を2名(いつもは4〜5名)しか集める事が出来ず、ママダリ(卒業生でタクシーの運転手)・カユーンAKBG事務局(いつもは記録係)・ムザヒル校長(いつもは監督)・西村JFSA事務局(病み上がり)・サドゥとアブドッラ(ワリー氏の弟)二人の少年が一丸となって荷降し作業を行ないました。

 到着したコンテナを見て皆もワリー氏も驚いたのは、コンテナがAPL(アメリカの海運会社)の物ではなかったことです。AKBG事務局のカユーン氏が港から搬出する際の確認を怠ったのではないかと、彼を皆で問い詰めました。しかし、コンテナの扉を開くとまさしくJFSAの荷物だったので全員ホッとしました(APLは他の海運会社のコンテナを使うことがあるようでした)。

      
 ところが、荷物を取り出し始めるとベールの間からハンカチやベルト、帽子がバラバラにされて出てきました。ハンカチはベールの袋だけになっていたものがあり、帽子やベルトのガラ袋は切られていて空の状態でした。これがコンテナの半分近くまで続きました。

 チェックの結果150sほど少なくなっていました。税関の荷物検査の時に盗まれたようです。荷降し作業をしていた皆もワリー氏も驚きと怒りで一杯になりました。このようなことは、この事業を始めた当初はありましたが最近は全くありませんでした。このことで被った損害は、商慣習により買い取った卸業者のワリー氏が受けることになります。AKBGの損失はありませんが、「少しでも子ども達の役に立てれば」との思いで送って下さった古着が掠め取られた事が悔しくてなりませんでした。ムザヒル校長も同じ思いでしたので、AKBGは通関手続きを依頼した業者を通して、検査を行なった税関に抗議し、海運業者のAPLにも調査を依頼しました。

 また、いつもの事ですが、荷降し作業中にポリスが代わる代わるやって来て賄賂を要求しました。荷降しが終わった頃にもポリスの装甲車がやって来て、二つ星の肩章をつけた階級の高いポリスが、この荷物に怪しい物が詰め込まれているとイチャモンを付け、500RSを要求しました。倉庫の持ち主であるワリー氏はやむなく合計2,000RSを渡しました。(払わないと逮捕されるからです)このお金はポリス個人の物となります。路上にコンテナを止めて作業を行なう事は法律で禁じられてはいますが、駐車スペースのないこの地域では路上で作業をせざるを得ないのです。しかし、このことを承知の上で賄賂を要求するポリスにもやむをえない事情があることを、ポリスの仕事をしている友人に聞かされました。「給料だけでは家族を養っていけない」「上司にお金を請求される事もある」など。

 ポリスや税関の検査官など、法律を守らなければならない者がこのような状態であることを目のあたりにしたり、このような話を聞く度に、パキスタン社会構造の深刻さを感じます。


AKBGとワリー氏の価格交渉

左からサドゥ(ムザヒル校長の息子さん)、アブドッラ(ワリー氏の弟)、JFSA西村

疲れきった表情の
AKBG事務局カユーン氏と
アルカイール卒業生のママダリ氏

 今回はさんざんな荷降し作業となってしまいましたが、今回の古着の送り出しで予測していた利益よりも僅かではありますが少し多めの、1,012,046円の利益をアルカイールアカデミーは得る事が出来ました。2,500人のスラムの子どもたちが学び続ける為の大きな力になります。JFSAを支えて下さっておられる皆さんに対する責任を果たせたのではないかとホッとしています。上述しましたようにパキスタン社会は深刻な問題を抱えており、JFSAの活動もいろいろと影響を受けますが、JFSAがアルカイールアカデミーと連帯して行なっている教育支援は、これらの問題の根っこのところからの変革をもたらすものだと考えています。
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『読み書きは単なる技術ではない。人間の精神形成に深くかかわる。ひとりで本を読めれば内省が可能になる。それは精神の構造を変える。近代的な人間の登場だ。彼らは社会の権威関係を揺さぶる。一部の者だけが権威を独占するのが難しくなり、経済的発展や政治の民主化が促される』

 「文明の接近」の著者  人類学、歴史学者のエマニュエル・トッド氏の言葉から

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〜パキスタン下院選挙が2月18日に実施される〜

           海外事業担当 事務局 西村 光夫

 選挙は1月の初旬に予定されていましたが、昨年12月にベナジ−ル・ブット元首相が暗殺され各地で暴動が発生したため、218日に延期して実施されました。(数名の立候補者が殺害されるなど、選挙当日も多少の混乱があったが、パキスタン軍・国際監視団に守られて無事に実施)
 結果は、野党のブット元首相が率いるPPP(パキスタン人民党)と、ナワーズ・シャリフ元首相が率いるPML−N(パキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派)、パシュトゥー族のANP(アワミ民族党)が過半数の議席を獲得して大勝しました。ムシャラフ大統領を支持する与党のPML−Q(パキスタン・イスラム教徒連盟カイデアザム派)は惨敗、人口の10パーセントを占めるカラチ市の最大政党MQM(ムータヒダ民族運動)は与党でしたが現有勢力(30議席)を維持しました。3月にPPP、PML−Nなど野党と与党であったMQMは、連立して新政権を樹立しました。首相にはPPPのギラーニ氏が選ばれました。


アルカイールアカデミーの前で鳥の手羽を焼いて売る少年たち
◆子どもたちへの質問アルカイールアカデミーに通う6年生(11歳〜14歳)と9年生(14歳〜17歳)合わせて10人に、質問に答えてもらいました。
同学年で年齢が違っているのは家庭の事情で入学が遅れたり、途中仕事をせざるを得なくなった子が復学したりしている為です。質問について説明して紙を配り、それぞれの考えを書いてもらいました(答えが重複しているものは記載していません)。

(質問@)18日の総選挙について、どう思いますか?

【9年生】

〇いつも政党や政治家は、選挙前は人々の要求を叶えると約束するが選挙後は忘れてしまう。

○周りの大人たちは選挙に期待していない。

〇選挙は政治家にとって、大人たちを愚かにする良い機会である。

〇選挙中は政党間の争いごとが増えて、その損害は人々に降りかかる。選挙で最後に利益を得るのは政治家である。

〇今回の選挙は政党間の争いごとが特に多く、自分たちも巻き込まれて友達との関係が悪くなってしまった。いつも選挙後の暮らしは少しも変わらない。今回も期待が持てない。

〇今回の選挙でも政治家は票を得るため、沢山のお金を使っている。しかし、選挙に勝てば100倍の利益を得られると聞いている。

【6年生】
〇選挙って、ちっとも良い事がない。選挙の間はいつも争いごとがあり、爆弾テロもあり、強盗も増える。

〇選挙でケンカをしないで欲しい。

〇政党の人は親たちを無理やり車に載せて集会に連れて行く。投票所にもそうやって連れて行く。親は仕事が出来なくなる。

〇お兄さんから聞いたが、投票用紙を一人で10枚も書いた政党の人がいる。間違ったことだが、誰も止められない。

〇小麦粉と砂糖をもっと安くしてくれないなら政治家は要らないと母親が言っている。


(質問A)選挙や暴動で、自分たちの生活が翻弄されてしまっていることをどう思いますか?

【9年生】
〇いつも損害を受けるのは貧しい暮らしをしている私たちだ。選挙をやる意味を間違えていると思う。


〇暴動があるたびに仕事も学校も休みとなる。私の友人の家では食事も取れない日が続き、
友人も盗みなどをするグループに入ったしまった。残念だ。


〇最も悔しいのは、バイク修理の仕事が少なくなることだ。 賃金が少し高いので学校に行く
時間も取れたが、他の仕事も合わせてしなければならなくなるので学校に行く時間も少なくなってしまうから。

【6年生】

〇物価が高くなって、仕事もなくて親がいつもよりケンカをする事が多くなって辛い。


〇学校で食事を貰わなければならなくなるので恥ずかしい。


〇大人たちはこんな事は(暴動など)これから増えると言っている。どうしてか分からない。



(質問B)将来、パキスタンはどんな国になって欲しいですか?

【9年生】

〇すべての子ども達に教育を得る為の時間を与えるべきだ。貧しい子ども達にも平等に。


〇パキスタンが他の国の人に尊敬される国になって欲しい。


〇イスラム教徒・クリスチャン・ヒンドゥが仲良く暮らす国であって欲しい。私の願いだ。


〇貧しい人の人権も尊重する国であって欲しい。


〇人々の恐れを除いて、自由にして欲しい。命を保護する国であって欲しい。


【6年生】

〇政党の人がケンカをしないでよい国を作って欲しい。


〇親たちのために仕事が沢山ある国にして欲しい。

〇爆弾を使う人がいない国になって欲しい。

◆パキスタン選挙後の状況報告
2008222日(金)現地より
海外事業担当 
事務局 西村 光夫

 
選挙の結果やその後の政治的状況については、インターネットや日本の新聞各社のニュースでご覧になっている事と思います。日本の新聞各社のニュースとパキスタンで報じられている報道内容とは変わりはないようです。ですから私は、TVや新聞で報道されている内容から離れて、JFSAが関わる身近な人々がそれぞれ、選挙結果をどう見ているかを下記に述べたいと思います。

○ムザヒル校長
 
選挙制度、選挙の内実、政党、政治家などすべてに不信感を持っていて、選挙の結果には関心はあるものの選挙後の政治には期待していません。スラム地域に絶大な影響力を持つMQMは一議席減少しましたが惨敗しなかったので、政敵であるパキスタン人民党との抗争も起こらないのではないかと少し安心しているようです。抗争が起きれば、若者達が犠牲となるからです。

○ママダリとアマダリ(アルカイールアカデミー卒業生でスラムの住民)
 
スラム地区では、多くの人が政党の暴力を恐れて各政党の扇動に乗っています。この二人はムザヒル氏の影響を強く受けているせいか選挙への期待も関心も無く、各政党を狂信的に支持している若者とバランスよく付き合っているようです。アルカイールの卒業生の多くはこのような態度をとっています。(中にはムザヒル校長に、自分の所属する政党を支持するように強く迫る者もいましたが・・・・)

○カユーン氏(AKBG事務局員でバラコートからの出稼ぎ者)
 彼は、ムシャラフ大統領政権の与党であったPML-Qの支持者です。なぜなら、彼はハリプール・アボタバード・マンセラ・バラコート地区に住むハザラ族出身であり、ハザラ族はPML-Qを支持しているからです。それにもう一つ理由があります。彼は出稼ぎ労働者ですが、カラチ市の政権はマハジールの民族政党MQMが握っていて、その政権は他民族の人々が多い出稼ぎ者を冷遇しているからです。今回の選挙結果に失望し、PPPが不正に票をコントロールしたと思っています。

○サジド氏(AKBG理事でインドから分離独立の際の避難民。元国立銀行行員)
 彼は、MQM設立時には20代の若者でしたが、その時は熱烈な支持者でありました。しかし、15年ぐらい前に激しい内部抗争があり、沢山の友人達が殺されました。それからは、この政党はマフィア化したと批判しています。一時ムシャラフ大統領を支持していましたが、今回の選挙の結果については、政党政治が復活されると好意的に受け止めています。ビジネスマンでもある彼は、パキスタンの株式市場の株価が上がったと喜んでいました。(ミドルクラス以上の人々は株を持っている人が多い。)

○イザハル氏(アルカイールアカデミー理事でパンジャビー人)
 ムシャラフ大統領支持者で、軍の経理をしていました。昨年12月に退職。その後ヨーロッパの会社を相手にした貿易の仕事を始めました。MQMをひどく嫌っています。パンジャビー人であることで、息子がMQM所属の官僚に就職差別を受けたことを強く非難しています。MQMのこういった体質が今回の選挙結果で改善される事を願っています。

○サリームさん(通称“電気屋さん”でマハジール)
 MQMの熱烈な支持者。貧しい暮らしはしていますが、学校の子ども達のために学校の電気関係のメンテナンスをボランティアで行なったり、ツアーでやって来た日本人のために食糧の買出しなどの細かい仕事を引き受けています。今回の選挙中は、仕事を休んで選挙運動の手伝いをしていました。MQMが設立される前のマハジールの悲惨さ(分離独立後、インドから避難してきた人々を、カラチに以前から住んでいた人々は快く迎えてはくれなかったようです)を知っているだけにMQMへの信頼は強いです。

○ワリーさん(古着の卸売り業者でパシュトゥー人)
 彼は、パシュトゥー人で組織されているANPの支持者ですが、今回の選挙ではPPPの選挙運動にも参加していました。ムシャラフ大統領をひどく憎んでいます。それは彼の故郷であるワジリスタンを、ムシャラフ政権がアルカイダと結びついたターリバンの巣窟であるとして、「テロとの戦い」を掲げるアメリカ軍と協力して攻撃しているからです。だから、今回の選挙の結果をとても歓迎しています。

○シーラさん(マハジールでMQMの元メンバー)
 彼はムザヒル校長の自宅近くに住んでいて、ムザヒル氏の仕事を尊敬し、学校の雑用などをボランティアで行なっています。
今回の選挙ではMQMの選挙運動に積極的に参加していました。最近仕事を失ってしまったようで、仕事を得る為にMQMの選挙運動を手伝っているのだと話してくれました。以前、彼はMQMの党員でしたが、組織内の不満分子に暴力的な制裁を加えるよう指示したリーダーに幻滅し党を離れたのですが・・・。軽い口げんかなどもしてはいましたが、ワシから見ると仲良しに見えていた古着の卸業者のワリーさんとは、この選挙を巡って大喧嘩をしてしまい彼とは口も利かなくなってしまいました。


 以上のように、身近にいる人々の心情的な思いを書きながら思ったことですが、民族・階層の違い、そして政治への関心・期待感の違いがこんなにもありながら、アルカイールの活動をそれぞれの立場から支えていくことで、ひとつに結ばれていると思いました。(決して強固だとは思われませんが・・・) 何故だか、ホッとしています。今回の選挙について子ども達がどう思っているのかを報告した、「子ども達への質問」の回答に現れている子ども達の社会を見る目の確かさに、上記で述べた人々の仕事は繋がっていると思うからです。彼等は政治に無関心でも無知でもなく、政治のあり方が自分たちの暮らしに大きく影響する事を身をもって知っています。そして、スラムの子ども達に寄り添い、JFSAのパートナーであるこれらの人々は、自分達で出来ることをそれぞれの立場で行なっているのです。
 今回の選挙で勝利したPPPPML-Nの連立政権が樹立すれば今後のパキスタンの社会はどうなって行くのだろうか? また、その動きの背後にある、パキスタンに強い影響力を持ったアメリカ・サウジアラビア・中国などによってどう変わっていくのだろうか?
その結果はパキスタン民衆の暮らしにどんな影響をもたらすのか? スラムの人々、アルカイールの子ども達には? そして、ここに挙げたこの子ども達を支える人々の思いや暮らしにどんな変化をもたらしていくのだろうか? テレビや新聞で伝えられるブット元首相の暗殺や自爆テロ・暴動などのニュースの映像や文字のむこうから、不安と共にこれらの問いが立ち上がってきます。

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◆パキスタン派遣報告     
事務局 入江 賢治 派遣日程 2008225日〜38

○パキスタンの農村を訪ねて
私は、今回の派遣中に、ムザヒル校長の故郷である、ダドゥという農村地帯にある街を訪問しました。ダドゥまでの道のりにて見たこと、感じたことを報告します。

 ダドゥまではカラチから車で約5時間の道のりです。カラチ市は人口1500万以上の大都市ですが、郊外を抜けると、ほとんど人家のない乾燥した大地が果てしなく広がっています。パキスタンの国土のほとんどは降雨量が少なく乾燥した非常に環境の厳しい地域です。内陸に向かい、インダス文明の栄えたインダス川に近づくと、黄土色だった景色が少しずつ畑の緑色に変わっていきます。イギリス植民地時代に灌漑用水路が造られ、大規模な灌漑農業が行われているのです。


麦畑の様子

○「働く子どもたち
 道の両側には、見渡す限りの広大な麦畑が広がっていました。その中では真っ黒に日焼けした大人たちに混じって、子どもたちも農作業をしていました。中には麦畑に隠れてしまうぐらいの小さな子どももいました。おそらく家族みんなで働いているのでしょう。
 また、綿花畑ではワタを、赤唐辛子畑では実の収穫を子どもたちがしているようでした。綿花の枝には鋭いトゲがあります(私の実家では綿花を少し作っていて、昔、トゲで痛い思いをした記憶がありました)。私には子どもたちがトゲで怪我をして、キズだらけの手をしながら作業をしているように思えてなりませんでした。
 パキスタン製の綿が使われた繊維製品は、日本でもたくさん流通しています。私たちの生活と綿花畑で働く子どもたちとは切り離せない関係にあります。

 私が訪れた時期はパキスタンでは初夏に当たりますが、日差しは強く、日中の気温は30度以上になります。夏季にあたる456月では気温はゆうに40度を越え、環境の過酷さは想像を絶します。
 アルカイールに通いながら働く子どもたちに家庭のことをたずねた時、お父さんやお母さんが病気で寝ている、と聞いたことがあります。「お父さんが病気で働けなくなったから、自分が働かないといけない。だから学校には来られなくなった」という子どものことも聞きました。私はそれまで「親たちの病気の原因」について深く考えたことがありませんでした。しかし、今回、働く子どもたちを見て、幼いときからの過酷な労働が、将来にわたって病気がちになってしまう遠因になっているように思えました。

 今、懸命に働く子どもたちの姿と、身体を壊してしまったアルカイールの子どもたちの親の姿が重なりました。親から子へと続く貧しさの連鎖があります。カラチのような都市と農村では、子どもたちの仕事の種類は異なります。ただ、貧しい家庭では食べていくために子どもを含めてみなで働かなければならない、という状況は当たり前の風景としてパキスタンのいたるところにあります。

「農村で見た豊かさ」
 農村で私が見たものは働く子どもたちの姿だけではありません。水牛のいる用水路で裸になって友達とはしゃぎまわっている子どもたち。彼らが働いているのか、学校に行っているのか、私にはわかりません。きびしい暮らしの中にある子どもたちかもしれません。しかし、あの子どもたちの表情は「貧しいかわいそうな子どもたち、なんて目で見ないでくれ」と言われそうなぐらい、笑顔でいっぱいでした。
 ゆっくりと走るロバの荷車が通ったのを見ました。木でできた荷台には手綱をとる父親の背中に自分の背中をあずける少年がいました。そのふたりの姿を見たとき、少年は学校には行っていないかもしれない、でも、父親と少年の間には一生の内でとても大切な時間が流れているような気がしました。私はその光景に貧しさではなく、うらやましいぐらいの豊かさを感じました。

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