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会報18号より
 

2008年10月29日(水)コンテナ到着
JFSA事務局 海外事業担当 西村 光夫


会員になるには
JFSAの活動は会員の方々に支えられています。
会員になるには下記の郵便口座に年会費をお振込みいただくか、 直接JFSA事務局まで直接お持ちください。
●2013年度(2013年10月〜2014年9月)分の会費になります。
●会員(正会員)には総会の議決権があります。
●会員、支援メンバーには年3回の会報と、 年1回サポーターグッズ(アルカイールの生徒が作ったものなど)を郵送いたします。
※サポーターグッズのサンプルはこちらからご覧ください。

◆郵便振替口座番号 00160-7-444198
◆加入者名 JFSA
≪年会費≫
【 会員(正会員)】

個人1口\5,000-/団体1口\50,000-
【 支援メンバー】
個人1口\2,000-/団体1口\10,000-


※通信欄に「会員」または「支援メンバー」「個人」または「団体」口数をお書き添えください(郵便振替用紙サンプルはこちらからご覧ください)。
※カンパ金をご入金いただく場合も上記口座をご利用ください。通信欄には「カンパ」とお書き添えください。
ボランティア募集中
 
JFSAでは活動を支えるボランティアを募集しています。
【作業内容】
@和服の選別、ハギレ作成、値段付け、など
A寄付された切手などの整理。
B会報などの郵送準備作業。
Cパキスタンへの古着コンテナ詰込み作業など。
Dフリーマーケットやチャリティ古着バザールなど古着販売に関わる補助作業。
【作業日】
作業内容により異なります。JFSA事務局へお問合せください。
【作業場所】
D以外はNPO法人JFSA事務局で行います。
*参加ご希望の方はJFSA事務局までお気軽にお問合せください。*ボランティアは無償で、交通費などの手当てもありません。ご了承ください。
ボランティア募集中
【NPO法人JFSA事務局】
住所:〒260-0001
千葉市中央区都町3-14-10
業務時間:10:30〜19:00
(木曜定休)
電話/FAX:043-234-1206
E-mail:jfsa@f3.dion.ne.jp

 コンテナのドアが開かれる時は、いつも緊張します。時々、検査時に品物が抜かれる事があるからです。前々回、前回ともレントゲン検査のみで品物を抜かれることは無かったので安心していたのですが、今回はしっかり抜き取られていました。日本から送り出される時にはぎっしり荷物が積み込まれていたのに、随分空間が出来ていました。ネクタイ、帽子、バッグなど小袋にしていたものを多く抜かれてしまいました。 (現在抜かれた重さを確認中ですが、200キロ以上を抜き取られているようです)

 AKBGメンバー、卸業者ともに怒りが込み上げてきましたが、何よりも子ども達のためにと古着等を送って下さった方々に対して申し訳ない思いで一杯になりまた。商慣習上、この損害の多くは卸業者が受けることになっている為、卸業者のワリー氏はとても怒っていました。AKBG 事務局の輸入手続担当者であるカユーム氏にくってかかり、「お前が、検査官に、しっかり賄賂を渡すように通関業者に話していないからだ!」と怒鳴っていました。卸業者の間では賄賂を渡すことは至極あたり前になっているのです。

 AKBG、JFSAとしては賄賂を払うことはせずに、検査の時に立ち会える通関業者にしっかりと見届けてもらうことをお願いしています。しかし、通関業者が立ち去った後に埠頭内で抜かれることもあり、通関業者を責める事が出来ません。以前、品物を抜かれた時に税関に抗議したり、海運会社に申し立てをお願いしたりしました。一時的な効果はありましたが、継続的な効果はありませんでした。AKBGは現在、知人の政治家を使って税関の上層部に圧力をかけることを考えているようです。

      事務局 西村光夫

回収量38,234キログラム(4099人)

2008年9〜11月に送っていただいた古着などの量は、過去最高になりました。倉庫は満杯になりましたが、幸い12月からは隣接した事務所とガレージを借りることが決まっていて、大家さんのご好意で10月からそのガレージにも保管することができて、無事に回収が終わりました。ご協力ありがとうございました。第29回古着送出しは、3月中旬の予定です。


第28回コンテナの卸売価格交渉報告
JFSA事務局 海外事業担当 西村 光夫


○第1回目交渉 (2008年10月24日)
 JFSAから送られてきたパッキングリスト(古着等の種類ごとの重さが記されている)を卸業者ワリー氏とニアーズ氏に渡して交渉を始めました。交渉はいつもムザヒル校長宅で午後9時ごろから始めて夕食を挟んで夜中の12時ごろまで行ないます。卸価格の決め方は、種類ごとに異なる価格にそれぞれの数量をかけて、その合計を総量で割り、キログラム当たりの価格を算出します。(バッグと冬物子供服は卸売り品目から除きます。卒業生の販売チームがバザールで販売しますので)種類ごとの価格は季節やマーケットの相場の動きによって変わります。例えばセーターは寒い季節を迎える時期だと高くなりますが、暑い季節になると安くなります。暑い季節が長い地域では冬物の価格は一般的に安くなります。季節に関わりなく高い価格で売れる物もあります。(毛布やシーツ、女性下着、ハンカチなど)これらのことを計算に入れて、AKBGと卸業者は双方の希望価格を提示して交渉を行ないます。買い手である卸業者は安い価格を、売り手であるAKBGは高い価格を提示します。
今回は、卸業者はキログラム当たり38ルピーを提示しました。前回は36ルピーから始まり45ルピーで決着しましたので、今回は前回を上回る価格が見込まれました。AKBGは前回のものよりも価格の高いものが多く含まれていることと、円に対するルピーのレートが大きく下がって(2008年8月1ルピー=1.56円が10月には1.30円に)いるので、より高い価格60ルピーを提示しました。卸業者はこんなに高い価格をAKBGが提示するとは予想していなかったので驚いた様子でした。2時間ほどの交渉で卸業者の価格を43ルピーまで上げる事が出来ました。しかし、それ以上の価格を引き出すことが出来ずに第1回目の交渉は終わりました。(いつも3回ほどの交渉で決着しています)

○第2回目交渉 (10月26日)
 AKBGと卸業者は双方の希望価格の根拠を主張して交渉を再開しました。卸業者の今回の言い分は、パキスタンの古着市場が主食や燃料費の高騰で衣類の需要が減っているので小売価格が下がってしまっている、だから、卸売価格を下げて欲しいと言うものでした。そして前回よりも物が良く総量も多いので48ルピーを提示するが、これ以上では買う事ができないと言いました。AKBGは、輸入の為の海上運賃が船の燃料費の高騰で高くなっていること、円に対してルピーの価値が下がっていて仕入れ価格が高くなっている、だから、高く買って欲しいと主張しました。交渉は白熱して時には声を荒げたり、世間話にそれたりしながら次第に価格を歩み寄せていきます。AKBGも折り合いをつけるために、55ルピーまで歩み寄りましたがこの日も決着が付きませんでした。

○第3回目交渉 (10月27日)
卸業者、AKBGの双方とも相手を納得させる有効な主張が出来ず、価格のことにはなるべく触れずに世間話に花を咲かせていました。何故なら、先にどのくらい歩み寄った価格を口にするかによっては不利な立場に立たされる事があるからです。JFSAの事務局員は、交渉には直接的に口を出さず、AKBGの自己決定を損なわずにアドバイスするという立場で交渉に立ち会っています。その立場から、AKBGがここで先に価格を提示しないことを願っていましたが、ややせっかちな性格のA理事が唐突に「53ルピーではどうか」言ってしまいました。卸業者は、じっくりと1ルピーずつ上げてゆき、51ルピーまで上げるとこれ以上では損を出すことになると言いました。そして「他の業者を捜して欲しい」とまで言ったのです。この卸業者のように現金で買ってくれる業者を見つけるのは容易ではありません。完全に卸業者の思惑にハマリ、51ルピーで決着してしまいました。

 前回は45ルピーで決着しましたが、ルピーのレートが1ルピー=1.56円でしたので円に換算すると70.4円でした。今回は1ルピー=1.30円なので前回よりも高い51ルピーであっても円換算66.3円で、4.1円も安く売ったことになります。AKBGの交渉の進め方は以前に比べると比較にならないほど上手くなっていますが、個人としての発言を避けてグループとしての総意をはかって発言する必要があることをAKBGのメンバーと話し合いました。


 JFSA倉庫で9月30日に古着等を積み込んだコンテナが、パキスタンの卸業者の二アーズ氏倉庫の近くの路上に、10月29日(水)の午後3時過ぎに到着しました。アルカイールアカデミーのムザヒル校長とその息子サード君、卒業生3名、AKBG事務局カユーム氏が、卸業者が雇った荷役労働者2名とコンテナ荷降し作業を行ないました。写真右はムザヒル校長と卒業生達です。


   用務員さんの死   
      JFSA事務局 海外事業担当 西村 光夫


 今朝早く、20年近くアルカイールアカデミーの門番・雑役などをしていた用務員のマムヌーンさんが亡くなりました。家族の話だと昨日の午後まではとても元気で、夜に頭が痛いと言って早く寝たそうです。そして、今朝死んでいることに家族は気が付いたということでした。

 彼もスラムの住人で、彼の家族に「年はいくつだったのか?」と聞きましたが他のスラム住民と同様に、はっきりした年齢は判らないという事でした。彼も彼の親も読み書きが出来ず、出生証明書を提出できなかったのです。

 マムヌーンさんは、20数年前にパンジャブ州の農村から僅かな世帯道具を抱えて、4人の子どもと奥さんとを連れて借金苦から夜逃げしてカラチ市のスラムに辿り着いたそうです。アルカイールアカデミーが開校して間もなく、学校の用務員として仕事に就いたようです。

 キッパリとした性格で、登校時間終了きっかりに門を固く閉ざし、遅刻した子どもを先生の許可なしには校内に入れようとしませんでした。

 
しかし、時折やってくるマフィアやゴロツキ政党にも毅然とした態度をとり、子ども達を彼等の暴力から守ろうとしました。また、私にも何かと心配りをしてくれました。

 
私が彼に最後にあったのは2日前のことでした。年末に腰痛で痺れた足を引きずって登校したら、「どうしたのか」と聞かれました。腰痛なのだと言ったら「2分足らずで完全に痛みをとってくれる呪術師を知っているから紹介してやる」と言われました。カラチ市の中でも大きな病院に連れて行かれ、愛想の悪いふんぞり返った医者に指示された薬を飲んで、痛みもとれず、両手にアレルギー症状が出ていた状態だったので、マムヌーンさんの話を信用こそ出来ませんでしたが、彼のキッパリとした物言いにホッとするものを感じました。

 
彼の呪術師への信頼は、きっと、貧しさの中でいろんな病気にかかり、貧しさのために満足に医者にも診てもらえず、怪しげな民間療法に頼らざるを得なかった彼の暮らしの中で得たものだと思いました。そんな彼の突然の死は残念ではありますが、病気が長引くことで借金をせざるを得なくなり、貧しさを更に深めていくスラムの人々の暮らしの現実を考えると、良い死に方だったのかもしれないと思いました。

 
貧困からの自立を、スラムの人々と共に努力している自分が、「良い死に方だった」と思ってしまう自分に強くとまどっています。敬虔なイスラム教徒であった用務員さんが、彼の信じる天国に行かれることを切に望んでいます。


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