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「第29回コンテナ受け渡し確認の報告」
JFSA事務局 海外事業担当 西村 光夫
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JFSAの活動は会員の方々に支えられています。
会員になるには下記の郵便口座に年会費をお振込みいただくか、 直接JFSA事務局まで直接お持ちください。
●2013年度(2013年10月〜2014年9月)分の会費になります。
●会員(正会員)には総会の議決権があります。
●会員、支援メンバーには年3回の会報と、 年1回サポーターグッズ(アルカイールの生徒が作ったものなど)を郵送いたします。
※サポーターグッズのサンプルはこちらからご覧ください。
◆郵便振替口座番号 00160-7-444198
◆加入者名 JFSA
≪年会費≫
【 会員(正会員)】
個人1口\5,000-/団体1口\50,000-
【 支援メンバー】
個人1口\2,000-/団体1口\10,000-
※通信欄に「会員」または「支援メンバー」、「個人」または「団体」、口数をお書き添えください(郵便振替用紙サンプルはこちらからご覧ください)。
※カンパ金をご入金いただく場合も上記口座をご利用ください。通信欄には「カンパ」とお書き添えください。 |
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JFSAでは活動を支えるボランティアを募集しています。
【作業内容】
@和服の選別、ハギレ作成、値段付け、など
A寄付された切手などの整理。
B会報などの郵送準備作業。
Cパキスタンへの古着コンテナ詰込み作業など。
Dフリーマーケットやチャリティ古着バザールなど古着販売に関わる補助作業。
【作業日】
作業内容により異なります。JFSA事務局へお問合せください。
【作業場所】
D以外はNPO法人JFSA事務局で行います。
*参加ご希望の方はJFSA事務局までお気軽にお問合せください。*ボランティアは無償で、交通費などの手当てもありません。ご了承ください。 |
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【NPO法人JFSA事務局】
住所:〒260-0001
千葉市中央区都町3-14-10
業務時間:10:30〜19:00
(木曜定休)
電話/FAX:043-234-1206
E-mail:jfsa@f3.dion.ne.jp |
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3月16日に東京を出港したコンテナは、22日後の4月7日に予定通りにカラチ港に到着しました。コンテナは港内の税関検査場に置かれ、AKBGが依頼している通関業者を通して書類審査が行われました。2日後の9日には審査を無事終えたと通関業者事務所に張り付いていたAKBGのカユーン氏から連絡が入りました。
この後、コンテナの検査が書類審査を終えた順に行われます。順調にいくと11日か12日には港からコンテナを搬出できるのではないかと思われました。しかし、JFSAのコンテナの検査の前日に行われたコンテナ検査中に輸入禁止品が発見され、警察もやってきて大騒ぎとなり、日曜日を挟んで5日後の16日に検査をすることになりました。私の帰国便は16日でしたので急遽19日に変更いたしました。16日にようやく検査を終え、17日午後3時ごろ港から搬出することができました。
通関業者によると輸入禁止品が見つかった後の検査はかなり厳しく行われたとのことでしたので、検査中に品物が抜き取られることもありAKBGのカユーン氏と心配しました。それで港からの搬出後、倉庫に向かう前にコンテナの重さを量り、抜き取りがあったかどうかを調べることにしました。日本で量った重さとほぼ同じでホッとしました。
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それでもコンテナの扉が開けられる時は緊張します。扉を開くと、いくつかのベールが開封されていました。そして、ベールの上には「検査のため開封しました。カラチ税関事務所」と書かれた黄色いシールが貼ってありました。検査官の署名もありました。こんなことは初めてのことでした。税関の検査体制が変わったようです。「これで、今後品物が抜き取られるようなことは無くなるだろうか」と、卸業者のワリー氏に尋ねたら「西村さん、ここはパキスタンだよ」ときっぱりと否定した答えが返ってきました。周りにいた荷役労働者たちは大きく頷きました。
さまざまな公的機関で日常化している不正を少なからず見てきた私にも、繰り返し行われる不正に怒りも失ってしまった人々の気持ちを分らない訳ではありません。今回も何時ものように、そして「ご挨拶」でもあるかのように50円〜100円ほどの賄賂を受け取りに10人ほどのパトロールのお巡りさんがやって来ました。しかし、このような不正のしわ寄せは最も弱い立場の人々のもとにやってくることを思うと、怒りを失うわけにはいかないなと思いながら荷降ろし作業を行いました。 |
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寒い時期だと3時間ほどで終わる荷降ろし作業も、コンテナの壁に触れるとヤケドをするのではないかというほどの厳しい暑さの中で行なったことと、その日は礼拝日で途中お祈りの時間をとったこともあり4時間以上も掛ってしまいました。暑さのせいか少し疲れも感じましたが、アルカイールアカデミーの卒業生やムザヒル校長、卸業者ワリー氏、荷役労働者達とおしゃべりをしながら休憩時間に路上で飲むチャイ(ミルクティー)はとてもおいしいものでした。 |
●困難を極めた卸価格交渉
今回(第29回送り出しコンテナ)の卸価格交渉は今までになく難航しました。今までは多くても3回の交渉で、AKBG側の希望価格と卸業者ワリー氏側の希望価格に折り合いをつけることができました。しかし、今回は第一回目の交渉(4月9日)から険悪な雰囲気となりました。ワリー氏側(同じく卸業者のニアーズ氏の2名)はAKBG側(理事4名、事務局1名とムザヒル氏の友人2名の総勢7名)から出されたパッキングリスト(種類別にベール数・重さを記したリスト)を丹念に見たあと、AKBG側の卸売希望価格を尋ねました。ワリー氏はそれを聞いて激しい口調で怒り始めました。AKBG側の希望価格は普段の2倍以上であったからです。
今までは、大声で自分の考えを主張することはよくありましたが、表情を変えて怒るのは初めてのこ
とでした。AKBGのメンバーは彼の怒りの勢いに押されて沈黙してしまいました。この日は異例のことですがワリー氏は希望価格を提示しませんでした。そしていつもは連日価格交渉を行なっていましたが、第2回目の交渉は1日置いて4月11日に行なうことになりました。ワリー氏の怒りが収まらない様子でしたので・・・。
第2回目の交渉は、ワリー氏側の希望価格をめぐってAKBG側が激しく怒るという展開になりました。今回のコンテナの古着等の種類は、小売で高く売れる物が多く、安いものはいつもの半分以下と、前回のコンテナの物より高い卸売価格がつけられるものでした。AKBGは、前回の卸売価格はキログラム当たり51ルピーでしたので、当然今回はそれよりも高い価格がワリー氏より示されると思っていました。ところが、彼が示したのはキログラム当たり46ルピーだったので、AKBG側の驚きと怒りで交渉の場が不穏な気配になりました。ワリー氏は、「古着のマーケットが低調である」という理由で46ルピーに固執し続けました。この日は、これ以上の交渉の進展はなく、第3回の価格交渉も一日置いた4月13日に行うことになりました。
JFSAは、交渉には口を出さず、あくまでも交渉に立ち会うという立場を守って来ました。それは、JFSAにとって古着等を販売する相手はAKBGであり、AKBGを飛び越えてワリー氏と交渉する訳にはいかないからです。しかし、私は、このままではAKBGは、ワリー氏に代わる現金で取引をしてくれる業者を見つけられないままに、交渉が決裂する恐れがあると判断しました。そこで、AKBGの承諾を得てJFSAとしてワリー氏と話し合う場を持ちました。価格の話は避けて、AKBGと今までの信頼関係を壊さず、長い付き合いをしてもらいたいと伝えました。ワリー氏は「私もそのつもりである」と話してくれました。
その後の交渉も難航しましたが、お互いに折り合いを付けようという意志をもって交渉を継続しました。結局、過去最高の5回も交渉がおこなわれ、コンテナ荷降ろし作業日の前日4月16日にキログラム当たり67ルピーで妥結しました。これは、今までで最も高い卸売価格となりました。
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スタディイベント報告/2009年3月13日〜3月20日
事務局 大橋紀子
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JFSAでは、学生や社会人の方を対象に現地スタディイベントを実施しています。昨年は、パキスタンの治安状態が不安定な状況下にあったため、実施することができず、今回は二年ぶりのスタディイベントとなりました。
参加者は、大学1年生(建築専攻)、大学2年生(ジャーナリズム専攻)、会社員(コンピューター系企業)、医師(保健衛生プログラムに協力している四街道徳洲会病院の外科医)の計4名でした。それぞれ年齢・性別・大学での専攻や職業、参加の動機などもまちまちでしたが、パキスタンやイスラムやJFSAの活動への興味から、今回顔を合わせた4人でした。
イベントでは、JFSAが支援するアルカイールアカデミーやカチラクンディ分校、職業訓練所の見学や、公立病院や町の縫製工房見学、私立学校見学に加え、ショッピングや観光など盛りだくさんなスケジュールでした。子どもたちや先生、ムザヒル校長、タスリーム副校長などにインタビューする時間も沢山取ることができ、それぞれの参加者の視点から、様々な質問が飛び交いました。
中でも私が印象に残ったのは、タスリーム副校長へのインタビューの際、参加者の中に既婚者もいたせいか、パキスタンには育児休暇はあるのか、出産したら国からの手当てなどはあるのかといった質問が出たことです。
公立学校では育児休暇として休暇中も手当てが出るそうですが、私立学校ではそのような制度はなく、結婚や出産を期に辞めてしまう人がほとんどだそうです。出産時の手当て等は、国としては一切なく、お金に余裕がある一部の人が自分で保険契約などをしているということでした。そのような何も保障のない社会のなかで、4人の子どもを育てながらアルカイールアカデミーの副校長として仕事を続けているタスリームさんに対して、改めて尊敬の念を抱きました。
今までアルカイールアカデミーの何人もの女性の先生にインタビューを行ってきましたが、結婚しても仕事を続けたいかという質問に対しての回答は皆同じです。「仕事は続けたいと思っているけれど、夫が決めるのでわからない」と。
沢山の優秀な先生がいる中、結婚したら仕事をやめてしまうという現実は、いつ聞いても本当に惜しいことだと思います。私たち以上にタスリームさんはそう思っていることでしょう。パキスタンという社会、習慣、宗教…沢山のことが背景に重なっていて、女性が日本のように外で働くことは容易なことではないかもしれません。しかし、少なくともアルカイールアカデミーでは、結婚しても働きたいという先生の希望をなんとかかなえてあげられる環境を作っていけたらいいなと私は思います。そのために、私自身何かできることはないかなと、今回の派遣から帰ってきて考えています。
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「 人から人へ 」 初見 彩香(スタディイベント参加者)
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今回私がJFSAのスタディイベントに参加させて頂いた一番の理由は、個人的に興味をもって、イスラームについて学んでいくうちに、日本及び欧米のマスメディアが伝える「イスラーム」のイメージが、どうも実際とは違うのでは、と思ったからでした。もやもやした疑問を抱き、インターネットで情報を探しましたが、「本当の世界」は見えてはきませんでした。だから、自分で直接行ってしまおうと思ったのです。なんだか偉そうな事を言っているようですが、要は自分の目で見ないと納得できないというだけです。
また、日々の生活の中で、テレビの中に映し出されるテロや爆撃といった映像に、なにか『慣れ』のような感覚になってしまっている自分にも、疑問を感じました。『慣れ』は、無関心につながります。遠い国の事だと無関心になってしまうのは、絶対に嫌でした。
突然の決定に、心配したであろう両親が、わたしの気持ちに柔軟に理解を示してくれたことに感謝しています。そして、イスラームに興味を持たせてくれた、在日ムスリムの方にも。こうして考えると、人のネットワークというのは、本当に不思議なもののように思います。人から人へ、無意識かもしれないことが、自然とつながっていって、私にとって新しい経験へと導いてくれます。パキスタンに行って思ったのは、人の「横の繋がり」がいかに強いかということです。貧富の関係なく、その土地にいる人同士が固く繋がっているようでした。ムザヒル校長先生のお宅を通じて出会う人皆が皆、一つの大きな家族のように感じました。助け合って生きるということの、温かさを思い出させてもらった気がします。こうして今、家で一人で過ごしていると、なんだかまた行きたくなります。
パキスタン・カラチ市では、主にスラム地区にあるふたつの学校、アルカイールアカデミーとその分校を見学させて頂きました。未だ貧困の連鎖が続く土地にある、無償の福祉学校です。砂埃が舞い上がる校庭、壁を直接黒板にした小さな教室、何人かで掛けている椅子と机、もしくは床に直接座っての授業・・・クーラーや暖房、それぞれの机、プールやサッカーゴールといった、日本の小学校のような設備はありません。
しかし、日本の学校と直接比較することに、何も意味がないのは明らかでした。貧しい学校なんて、とても思いませんでした。なんと言うべきでしょうか、アルカールアカデミーの子ども達は、日本に住む全ての“こども”と何ら変わりありませんでした。わたし達を見てくすくす笑ったり、恥ずかしそうにしたり、ともだちとふざけたり。熱心に先生の話に耳を傾け、ノートをとる子供たちは、世界共通の“こども”という存在であって、「“かわいそうな”こども」ではありません。外を無邪気に走り回る姿を見ると、自分の幼少時代を思い出させます。今思い返しても、目に浮かぶのはきらきらした瞳ばかりです。生活自体は貧困を余儀なくされているけれど、「勉強がすき」という子ども達はとても多いです。「勉強“させられる”」と言う日本の子どもがいるということのほうが、よっぽど「かわいそう」なのではないでしょうか。わたしにとって、本当の「貧しさ」とは、環境ではなく心のあり方の問題だと思います。
だからこそ、アルカイールアカデミーに勤める先生方が、心から熱心であるのだと思います。教室に響く先生の声は、厳しくもあり、優しげでもありました。おしゃべりをすれば怒られるし、ちゃんと勉強しないと立たされているし、なんだかどこかで見たことのある光景ばかりです。先生方にインタビューしたとき、「ここで勉強したことを糧にして、世の中の役に立つ人間になって欲しい」と願い、教鞭をとるとおっしゃっていました。先生自身が、この学校の出身者であり、子ども達がどうあるべきかは良く考えてきたのでしょう。私立の学校の先生に比べれば、アルカイールアカデミーの先生の給料はとても比にならないと聞きました。しかし、私立の学校では、給料差で先生の確保にばかり悩んでおり、安定して先生にいてもらうのは大変だそうです。それぐらい、良い先生は取り合いになる社会なのに、アルカイールアカデミーで教鞭をとるのは、先生が心から子どもに教育を与えたいと思っていらっしゃるからではないでしょうか。
そして、子ども達に聞いてみると、先生の思いはしっかりと届いていることにビックリしました。「将来は、先生になって、学校に恩返ししたい」と言っていた子が、どんなに多かったことか。熱心に教えてくれる先生が多いと、ある子は言っていました。自分が子どもの頃なんて、先生がどんな風に自分を教育しているかなんて考えたことがありませんでした。「世の中の役に立つ人間に」という願いは、先生自身の熱心な姿をお手本として、子ども達にしっかりと伝わっています。だからこそ、あんなに一生懸命勉強しているのでしょう。地面に座り、黒板に向かう小さな背中を見ると、なにか、頼もしく感じました。
帰りのバスの中で行った、最後のミーティングでの、ムザヒル校長の言葉が、未だに頭を離れません。「問題を抱えていた女性や子どもが劣悪な環境にいたり、貧富の差があるということは、イスラームの教えと矛盾しているのではないか」という、私のストレートな質問に、校長先生やワリーさんをはじめ、皆が真正面から質問を受け止めてくれました。正しい「教育」とはなにか。それは単に、個人の利益ばかりに傾いて考えるための道具ではありません。村の中で生まれ、そのまま村で死んでゆくというサイクルが未だ存在するなかで、教育とは、新しい世界を知るための一筋の光でもあります。西村さん(*JFSA事務局)がおっしゃっていたように、教育を与え、知識を得ることで、「絶望」も知ることになるかもしれないけれど、それでも教育を受けることによって、チャンスを得るための土台を作ることが出来る、自分に何が出来るのかを知ることが出来る。これは、たとえ宗教が違えども、人間とし生まれ、よりよく生きるためには必要な事でしょう。「絶望」を感じることも、教育を受けた証拠です。
パキスタンでの思い出を振り返ると、24時間全てが私にとっての「教育」でした。知識を詰め込むのではなく、「自分ができること」から、学び取ってゆく過程は、私にとってはなにか懐かしく、そして新鮮でした。タスリームさんにも、色々と質問してしまいましたね。タスリームさんのような「自立」ある、新しい考え方、そして家族を大切に思う姿勢は、とても憧れます。やさしくほほえむ姿は、母であり、教師であり、妻である中で、私の目標にもなりました。本当に、有り難うございました。
そして真っ向から投げかける質問に、ひとつひとつ丁寧に答えてくれた皆さんとの繋がりの中で、自分がまだまだ未熟であり、学ぶことが多いということに改めて気が付きました。ぼんやりと生きていては、アルカイールアカデミーの子ども達に示しがつきませんね。
もっと勉強しなくては。と、今一番に思います。もちろん、ウルドゥー語も勉強したいです。ほんとうは、この手紙もウルドゥー語で書ければ良かったんですが。やっぱりまだ名前しか書けません。
また行くときは・・・と考えると、力が沸いてきます。また、パキスタンに行かせてくださいね!つぎは日本のことを、子ども達にもう少し教えてあげられたらな、と思います。 |
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