会報40号より(2016.5)

2015年12月、古着卸業者のワリー氏から1020点(6415ドル分)の古着を買い付けました。ワリー氏は、古着卸売業を生業としています。カラチ市の卸問屋街シェールシャーとカラチ特別輸出加工区(KEPZ、通称ゾーン)に拠点を構えています。JFSAがパキスタンに送った古着は、AKBGがJFSAから買い取り、それをワリー氏に販売しています。その売上から関税と諸経費およびJFSAへの代金を支払い、収益がアル・カイールアカデミーの運営費になります。

ネットワークを活かした古着の卸売業

 ワリー氏は、AKBGとの取引に関して彼の友人で同じ古着卸業を営んでいるニアーズ氏とパートナーを組んで行なっています。現地での販売はニアーズ氏が、また別のパートナーと組んで行なっています。このパートナーはアフガニスタン人でニアーズ氏やワリー氏と同じパシュトゥーンという部族です。そのパートナーは主にアフガニスタンやその国境に近いパキスタンエリアにネットワークをもっています。パキスタンに到着した荷物は、シェールシャーにあるニアーズ氏の倉庫で荷下ろしされます。そこに国内外の卸業者や小売り業者が訪れ、販売されていきます。このようにひとつひとつの仕事に対して友人、知人、親戚などのネットワークの中でパートナーを組んで行なうのは彼らのスタイルだそうです。単独で行なうこともありますが、パートナーとともに行なうことでリスク分散させたり利権を共有したりしています。

 ニアーズ氏は、JFSAからの輸入以外に、アメリカやイギリス、ドイツなどから古着を輸入して、卸売りを行なっています。古着の中には、日の古着やが好むような、いわゆるヴィンテージの物やファッション性が高い物も含まれています。そうした古着をニアーズ氏が元卸業者から品物を集めている仲卸業者から、ワリー氏は日本や中国、韓国、タイ、南アフリカ、アメリカ、ドイツなどの古着屋に向けた品物を集めています。JFSAがワリー氏の親戚の仲卸業者のシェールシャーにある倉庫にいる時に、同じ倉庫街の元卸業者の倉庫にコンテナが到着したと連絡が入りました。ドイツからのコンテナだそうです。そこにいる人たちがそのコンテナの中身について、品質や価格がどういうものなのか話し始めました。「前回の中身はどうだった?」「売れたか?」「今回はあの業者は買ってくれるか?」といった話もしていました。ひとしきり話をした後、その仲卸業者はコンテナの到着した倉庫にいつも異動で使っている90㏄のバイクで向かいました。JFSAのコンテナが到着する時、自分たちはその荷下ろしをしているので知りませんでしたが、きっと周りの倉庫ではこうしたやり取りがされているのでしょう。

シェールシャー 各国から古着が集まる倉庫街

ワリー氏は、ネットワークの中での古着屋に向けた商品を集めています。ファッションには流行があるので、その時々で必要とされるものは変わります。彼が日本向けに集めている商品は上手に流行に対応していると感じます。他の国のファッション事情は自分も良くわからないのですが「このブランドは南アフリカではやっている」とか「あそこの山になっている革のジャケットは全てタイの古着屋が買っていく」など、自信満々に言われるとおそらくそうなのだろうと思ってしまいます。ワリー氏は、どこの国でどういったものが流行っているという情報を仲卸業者に伝え、それらがシェールシャーの倉庫に持ち込まれてきて、買い取っています。また、直接ワリー氏が出向いて選んでくることもあります。そうして集まった古着は、ワリー氏の下で働いている人たちが各種類に分けて積んでいきます。デニムジャケット・フリース・ミリタリージャケット・レザージャケットなどなどかなりの種類です。倉庫は4階建てになっているので、彼らは担いで会談を上がっていきます。たまに手伝いますが、一度に数十キロも担いで階段を上がるのはなかなかの重労働です。

ゾーン 古着の選分専門の倉庫が集まる加工区

ゾーンの倉庫でも商品を集めていますが、こちらは少々状況が違います。こちらは加工区となっていて、多くの古着業者がいるのですが、いわゆる選分屋になります。選分屋は、仕分けされていない古着を輸入し、仕分けをして販売する業者です。この加工区では、アメリカやヨーロッパから主に輸入し、それらを仕分けしてまた各国に輸出しています。アメリカやヨーロッパに戻る分もあります。自国で仕分けをするより輸送費をかけてでもパキスタンで仕分けをする方が、コストがかからないためです。ゾーン内であれば輸出入に関して無税であるため、古着に限らずそうした作業を行なっている事業所が多くあります。ワリー氏はそうした選分屋から古着屋向けの商品を選ぶだめのスタッフを雇い、各倉庫にスタッフを派遣して商品を集めています。

この2ヵ所に拠点を置く前にワリー氏は、ハジケンプという古着の仲卸問屋街に倉庫を構えていました。この場所は働く人たちの居住区でもあったため、生活感があり、子どももたくさんいました。以前のの場所で作業をしている時、その倉庫に子どもがやってきました。手にはファスナーを持っています。それをワリー氏はいくらかで買い取りました。「自分も昔やっていた」ワリー氏は言っていました。子どもの小遣い稼ぎだそうです。規模の大きくなったワリー氏も、ファスナーを持った子どももJFSAの活動も衣類のリサイクルです。このような面をもった事業を通して、アル・カイールアカデミーの支援を行なっています。